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名古屋高等裁判所 昭和59年(行コ)8号 判決 1989年5月30日

主文

本件控訴を棄却する、

但し、名古屋鉄道郵便局が組織上消滅したので原判決主文第一項中「被告」とあるのを「名古屋鉄道郵便局長」と訂正する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  当事者双方の申立

1  控訴人

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

2  被控訴人

本件控訴を棄却する。

訴訟費用は控訴人の負担とする。

二  当事者双方の事実上、法律上の主張及び証拠関係は左に訂正付加するほかは原判決事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。

(原判決の訂正)

1  原判決二丁裏四行目の「う」の次に「。但し名古屋鉄道郵便局は昭和六一年一〇月一日組織上消滅し、控訴人郵政大臣が名古屋鉄道郵便局長(以下「第一審被告」ということもある。)の地位を承継した。」を挿入する。

2  原判決中「被告」とあるのを「名古屋鉄道郵便局長」と改める。

3  原判決三丁表九行目の「労働基準法」を「当時施行の労働基準法」と改め、同一一行目を次のとおり改める。

「れに対し、被控訴人が右三日間の、又は右時季変更権の行使により他時季振替された本件における時季指定そのものを撤回する旨の意思」

4  原判決五丁表三、四行目を次のとおり改める。

「で、慎重に検討したが、被控訴人の本件年休の時季指定は従前の名古屋鉄郵局における事実上の慣習になっていた予めの打診もなく、かつ名古屋鉄郵局長において年休の時季変更権を行使したことは、過去に一度もなかったので、被控訴人が当然本件年休は付与されるものと考えて、例えば本件年休の間に一泊旅行を計画しているような場合には、被控訴人に本件年休が付与できないことを早く連絡しないと、乗務を欠く事態が発生し、事業の正常な運営を阻害する恐れがあったので、同日一一時ころに、本件年休は事業の正常な運営を妨げるものと認めて、他の時季に変更すること」

5  原判決六丁表四、五行目を「を示した。」と改める。

6  原判決六丁表五行目の後に改行して次のとおり挿入する。

「そして大石課長は被控訴人の本件年休の時季指定は同課長が時季変更権を行使した時点でその効果が消滅し、さらに本件年休請求又は他時季振替された年休請求も被控訴人の撤回によって消滅したものと判断し、右の趣旨を『年次有給休暇整理表(乙第一八号証)』の裏面に記載した。しかし同課長は名古屋鉄郵局において時季変更権を行使したことが初めてであり、『撤回した旨を朱書する』との通達を知らなかったので、被控訴人の年休の時季指定は撤回されたとの認識のもとに右の処理をしたのである。」

7  原判決八丁表七行目から九行目までを次のとおり訂正する。

「被控訴人は昭和五〇年三月二四日から同月二六日までの三日間の年休時季指定について大石課長が時季変更権を行使し、右三日間について再三にわたる就労命令を発し、かつ勤務指定によって右三日間について勤務を命ぜられていたにもかかわらず、これに従わなかったものであるから、右は職務命令違反行為として国家公務員法九八条一項に違反し同法八二条一号に該当する。また被控訴人が勤務義務を負っている右三日間について勤務を欠いたということは職務専念義務違反であって同法一〇一条一項前段に違反し、同法八二条二号に該当する。さらに被控訴人が勤務義務を負い、かつ上司の職務上の命令をうけながらあえてこれに従わなかったという行為は官職の信用を傷つけ、官職全体の不名誉となるものであり、同法九九条に違反し、同法八二条三号に該当するものである。そこで名古屋鉄道郵便局長は右各法条を適用して、」

8  原判決八丁裏一〇行目から九丁表二行目の「よっている。」までを次のとおり改める。

「航空機、船舶等を利用しているが、昭和五八年二月一日の郵便輸送システムの改善がなされるまでは、その中枢を占めるのが鉄道であり、鉄道によって運送される郵便物の九九パーセントが分割民営化される前の日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)によっていた。」

9  原判決九丁表一一行目及び同丁裏二行目の「る」をいずれも「た」と改める。

10  原判決二二丁表七行目の「ここで」から同八行目の「し、」までを削除する。

11  原判決二二丁裏一行目の後に改行して次のとおり挿入する。

「右の乗務勤務時間(四時間二六分、一二時間二三分、四時間三三分)は、郵便車に乗っている時間だけでなく、乗車前及び降車後の整備時間、発車前作業時間、出駅時間、歩行時間、休息時間を含めた勤務時間を意味する。

すなわち、名古屋から松阪までの乗務勤務四時間二六分とは、始業時刻(一四時三〇分)から乗車(一五時二一分)までの整備時間(五一分間)と、名松下二に乗務する時間(一五時二一分から一八時〇二分までの二時間四一分)と、降車後(一八時〇二分)から就業時刻(一八時五六分)までの整備等時間(五四分)を合わせた勤務時間である。

次に、松阪から新宮へ、さらに新宮から松阪までの乗務時間一二時間二三分とは、松阪から新宮まで松和下一に乗務する時間(五時一〇分から九時〇五分までの三時間五五分)と乗車前の整備等時間(三時五〇分から五時一〇分までの一時間二〇分)、降車後の整備等時間(九時〇五分から一〇時〇三分までの五八分)及び新宮から松阪まで松和上一に乗務する時間(一六時五五分から二一時〇六分までの四時間一一分)と乗車前の整備等時間(一五時五〇分から一六時五五分までの一時間五分)、降車後の整備等時間(二一時〇六分から二二時〇〇分までの五四分)を合わせた勤務時間を意味するものである。

また松阪から名古屋までの乗務勤務四時間三三分とは、始業時刻(九時三二分)から乗車(一〇時二八分)までの整備等時間(五六分)と名松上一に乗務する時間(一〇時二八分から一三時〇八分までの二時間四〇分)と、降車後(一三時〇八分)から終業時刻(一四時〇五分)までの整備等時間(五七分)を合わせた勤務時間を意味する。」

12  原判決三九丁裏一〇行目の「5」を「(5)」と改める。

13  原判決四一丁表三行目の「阻害する」とあるのを「阻害される」と改める。

14  原判決四一丁表八行目の「当時も現在も」とあるのを「当時から名古屋鉄郵局が廃止された昭和六一年一〇月一日までの間」と改める。

15  原判決四三丁裏一〇行目の「別紙4ないし8」とあるのを「本判決の別紙勤務指定変更可能例一覧表1ないし9(以下「変更可能例1ないし9」という。)」と改め、同時に、原判決の別紙4、同5、同6、同7、同8の各記載を全て削除する。

16  原判決四六丁表一一行目の「名鉄郵局」とあるのを「名古屋鉄郵局」と改める。

17  原判決四六丁裏一〇行目の「現に」とあるのを「前記名古屋鉄郵局が廃止された昭和六一年一〇月一日まで」と改める。

18  原判決四八丁裏八行目の「もの」とあるのを「者」と改める。

19  原判決五一丁表八行目の「の「原告の主張及び再抗弁」」を削除し、同六〇丁裏八行目の「別紙4ないし8の」を「被控訴人主張の変更可能例の」と改める。

20  原判決六三丁表一行目の「またはその周辺の局所」とあるのを削除する。(被控訴人の主張の付加)

本件において被控訴人に対して年休を付与するための検討をしていた昭和五〇年三月二三日午前の時点においては、予備線表勤務者の勤務指定は乙第八号証の二ようにすべてが具体的に指定されていたのではなく、乙第五六号証のように三月二五日以降はほとんど当初の日勤指定のままであったのである。

右の乙第五六号証を前提として本件服務差繰を検討すれば、変更可能例一覧表1ないし9のように九とおりの方法で服務差繰が可能であり、被控訴人に本件時季指定にかかる年休を付与することは十分に可能であった。

また服務差繰にあたり基本線表勤務者の勤務指定の変更について非番日や週休日が変更された例があったことは乙第四一号証、第四三号証、第四四号証の各一等からみても明らかである。

1  変更可能例1について

右1に示すように被控訴人に対して三月二四日から同月二六日まで年休を付与する場合、基本線表勤務者の渡辺と小林は両名とも二四日非番日、二五日週休日、二六日から二八日まで六番勤務の予定であるので、どちらか一方の勤務を二四日から二六日まで六番勤務に勤務指定変更をすることにより、被控訴人の代替乗務が可能となり服務差繰が可能になる。

この場合両名の週休日を二七日、非番日を二八日に変更することにより直近の日にあてることができる。

組合は週休や非番の者の勤務指定の変更に反対していたという事実はないから、すくなくとも右両名の意向を打診すべきであったし、また勤務指定の変更として業務命令を発することも可能であったものである。

2  変更可能例2について

右2に示すように被控訴人に対して三月二四日から同月二六日まで年休を付与する場合、基本線表勤務者の前野は二四日週休日、二五日から二七日までは六番勤務であるところ、同人の勤務を二四日から二六日までを六番勤務とし、二七日を週休日とし、予備線表勤務者の倉橋に前野の二五日から二七日までの六番勤務へ乗務させることにより、被控訴人の補充が可能となる。

組合が週休日の変更に応じないという事実はなかったし、当局も週休日の変更を行っていたものである。

3  変更可能例3について

右3に示すように被控訴人に対して三月二四日から同月二六日まで年休を付与する場合、予備線表勤務者の倉橋が右の間六番勤務に乗務し、二三日の時点で指定されていた同人の一番勤務は基本線表勤務者の加藤が当初の指定が二四日週休のところを一番勤務に変更し、右週休を二八日に変更することにより服務差繰は可能となる。

基本線表勤務者の週休日の変更の実例はそれ以前にもあったし、週休日の変更に組合が反対していたという事実はない。

4  変更可能例4について

右4に示すように被控訴人に対して三月二四日から同月二六日まで年休を付与する場合、本件服務差繰の時点で二四、五日に五番勤務と指定されていた予備員の進藤に右五番勤務を変更して六番勤務を乗務させ、右同人の五番勤務は二四日を一番勤務と指定されていた倉橋をあて、同人の一番勤務には基本線表勤務者の加藤の週休を勤務指定変更して乗務させ、加藤の右週休は二八日に振替え、加藤の二八日の一番勤務は倉橋が乗務するように各勤務指定の変更をすれば服務差繰が可能となる。なお二三日の時点では倉橋の二五日の週休は具体的に指定されていなかったものであるから、右4のように倉橋に二六日と三〇日に週休を付与することができる。

5  変更可能例5について

右5に示すように被控訴人に対して三月二四日から同月二六日まで年休を付与する場合、基本線表勤務者の熊野の当初勤務指定が二四日非番日、二五、六日三番勤務であったところを六番勤務に変更して被控訴人の後補充にあて、熊野の二五、六日の三番勤務は予備線表勤務者臼井が二三日の時点ではまだ具体的な勤務指定はなされていなかったので、同人を右三番勤務に補充し、また二六日の一番勤務を徳武に、熊野の非番日を三一日と指定することにより服務差繰が可能となる。

熊野は二四日が非番日であったが、非番日について勤務指定変更が不可能であるということはなく、現に横井代理は非番日の者に事情聴取をすることを考えた旨を証言しているのである。しかるに同人は組合が反対しているから熊野に話をしても無駄であると考えて、右事情聴取をしなかったと証言するが、組合が反対していたのはいわゆる休み(非番日も含む)の当日になってからの勤務指定の変更に反対していたものであって、それ以前の変更にまで反対していたのではない。そして熊野は二三日の一三時〇八分には名古屋駅に帰着しており、控訴人が被控訴人に時季変更権を行使した時点では事情聴取ができたのにこれをしていないのである。

次に徳武に対して三月一四日以降週休を付与していなかったので、右の変更可能例5の二七日まで一三日間も週休を付与しないことは原則として行っていなかった旨を横井代理は証言する。しかし本件は交替制勤務であり、徳武は右の間に非番日が四回あり、また祝日も一回とっていたのである。また本件職場は変形休日制度を採用していたから、労働基準法上も次の週休日が一三日目になっても違法であるということはない。さらに本件直前の短い期間をみても次のように週休日の間隔が一二日から一五日間をおい付与された例が見られる。

(一) 酒井は昭和四九年一二月一〇日から同月二四日まで一四日間

(二) 徳武は昭和四九年一二月一一日から同月二三日まで一二日間

(三) 島地は昭和五〇年一月九日から同月二二日まで一三日間

(四) 渡辺は昭和五〇年一月九日から同月二一日まで一二日間

(五) 松谷は昭和五〇年二月四日から同月一九日まで一五日間

次に控訴人は倉橋について三月二七、八日と三月三一日、四月一日に五番勤務に勤務指定することは同人の健康状態を無視するものであるというが、本例では右勤務の間に二日間の休息をとることができるので控訴人がことさらいうほど無理な勤務指定ではない。

次に控訴人は熊野の勤務時間について被控訴人が主張するように勤務指定の変更をすると官損(本件職場において職員は一勤務指定期間四週間を通じて一万〇五六〇分就労すべきところ、それ以下の勤務時間しか就労しなかったことをいう。)が発生するところ、年休を付与するために官損を出してまで服務差繰をすることは実態としてなかった旨を主張する。

しかし本例によれば熊野に対する官損は三番勤務の八八二分と五番勤務の初日の八四五分との合計と五番勤務の一五七八分との差だけであり、一四九分の官損にすぎない。しかも控訴人は同時に当該月は勤務指定が切り替わったため官損が出たという特別な事例であることも認めている。右の官損は乙第八号証の一、二によると次のとおりである。

勝谷 八八五分 小川 六〇六分 西村(重) 四八二分 前野 四七五分 花見 二九八分 伊東(鷹) 二九八分 遠藤 五六四分 松谷 二九八分 杉本 二二分 被控訴人 四八二分 徳武 四五〇分 伊藤(文) 六四四分 進藤 四〇二分 臼井 一六七分 西村(典) 二九六分

そして熊野は当初指定では一五分の官損であったところ、本例によれば一六四分の官損になるだけであって、ほかの右乗務員にくらべてはるかに低い官損ですむことになり、また官損の出る特別な時期であったこともあわせ考えれば、この点は特に服務差繰の困難な理由にはならない。

6  変更可能例6について

右6に示すように被控訴人に対して三月二四日から同月二六日まで年休を付与する場合、基本線表勤務者の島地が当初勤務指定が二四日年休、二五日非番日、二六日週休のところを勤務指定変更し、二四日から二六日まで六番勤務として被控訴人の補充にあて、島地の当初の勤務指定分となっている二七日から二九日までの六番勤務につき、二七日年休、二八日非番日、二九日週休と勤務指定変更し、島地の二七日から二九日までの六番勤務は、予備員の倉橋が右服務差繰の検討時点では二七日から二九日までは具体的な勤務指定がなされていなかったから、同人にこの三日間六番勤務と具体的勤務指定をして島地の補充とし、すべての服務差繰をすることができる。またその余の予備線表勤務者の三一日までの勤務指定を右6に示すように指定して特別に問題を残すようなことはない。

なおこの場合島地の年休、週休、非番日の変更の問題は、同人の都合を聴取してその可能性を探ることができたものである。

7  変更可能例7について

右7に示すように被控訴人に対して三月二四日から同月二六日まで年休を付与する場合、被控訴人の六番勤務を本件服務差繰の検討時点では二四日以外は具体的勤務指定のなかった予備員の倉橋が乗務するよう勤務指定し、倉橋が指定されていた二四日の一番勤務は基本線表勤務者の島地が当日年休となっていたので、同人に変更に応じてもらえるか事情聴取のうえ、もし応じてもらえれば同人に二四日に一番勤務に勤務指定変更をする。この場合乙第八号証の二の倉橋の二五日の週休は右服務差繰の検討時点では指定されていなかったから問題はない。

また倉橋が三日勤務を断ったことはない。

8  変更可能例8について

右8に示すように被控訴人に対して三月二四日から同月二六日まで年休を付与する場合、被控訴人の六番勤務を本件服務差繰の検討時点では二四日以外は具体的勤務指定のなかった予備員の倉橋が乗務するよう勤務指定し、倉橋が指定されていた二四日の一番勤務は基本線表勤務者の勝谷が当初指定では二四日は年休であったが、同人に対して二四日の一番勤務に乗務してもらえる否かを事情聴取し、応じてもらえるならば、二四日を一番勤務に勤務指定変更して倉橋の補充にあてることができる。なおこの場合勝谷の年休は年度末のため年度内に消化できない場合もあり得るが、服務差繰がつけば二九日から三一日までの間にとることもできたであろうし、また翌年度に計画年休として繰越すこともできたのであるから、同人が年休を失うことはない。

9  変更可能例9について

右9に示すように被控訴人に対して三月二四日から同月二六日まで年休を付与する場合、被控訴人の六番勤務を本件服務差繰の検討時点では二四日以外は具体的勤務指定のなかった予備員の倉橋が乗務するよう勤務指定し、倉橋が指定されていた二四日の一番勤務は基本線表勤務者の小椋が当初指定では二四日は年休であったが、同人に対して二四日の一番勤務に乗務してもらえるか否かを事情聴取し、応じてもらえるならば、二四日を一番勤務に勤務指定変更して倉橋の補充にあてることができる。そして小椋の年休は勝谷の場合と同様に考えることができるのである。

(控訴人の主張の付加)

被控訴人の主張する変更可能例はすべて基本線表勤務者の週休日の変更若しくは非番日の変更又は年休の変更を前提とするものであって、名古屋鉄郵局第二乗務課乗務係における本件当時の職場の実態を無視したものであるから、右の主張は失当である。

すなわち年休の時季変更権を行使するにあたってのその要件の存否の検討は、当該職場を基準としてその職場で行われている通常の方法をもってすれば足りるものであり、加えて労働基準法上の週休日の解釈、非番日の性格、趣旨、労働協約、郵政省就業規則、勤務時間規程上における週休日の解釈、当時の職場の実態に照らせば、年休を付与するにあたっての使用者の服務差繰の努力義務の中には、週休日、年休、非番日の変更はいずれも含まれないものである。

そして右の変更可能例は、すべて基本線表勤務者の週休日の変更若しくは非番日の変更又は年休の変更を前提とするものであり、しかも倉橋の健康状態を全く考慮していないものであって、当時の職場の実態、一般の年休の時季指定についての通常の服務差繰の方法を無視した単なる机上の空論であって、このような勤務指定の変更は不可能であったことは明らかである。

1  変更可能例1について

右1は基本線表勤務者の渡辺または小林の非番日、週休日の変更を前提としており、さらに健康上の配慮が必要な倉橋に六番勤務を行わせるものであって、当時の職場の実態及び倉橋の健康状態を無視した事例である。

2  変更可能例2について

右2は基本線表勤務者の前野の週休日の変更を前提としており、さらに健康上の配慮が必要な倉橋に六番勤務を行わせるものであって、当時の職場の実態及び倉橋の健康状態を無視した事例である。

3  変更可能例3について

右3は基本線表勤務者の加藤の週休日の変更を前提としており、さらに健康上の配慮が必要な倉橋に六番勤務を行わせるものであって、当時の職場の実態及び倉橋の健康状態を無視した事例である。

4  変更可能例4について

右4は基本線表勤務者の加藤の週休日の変更を前提としており、さらに健康上の配慮が必要な倉橋に五番勤務を行わせるものであって、当時の職場の実態及び倉橋の健康状態を無視した事例である。

5  変更可能例5について

右5は基本線表勤務者の熊野の非番日の変更を前提としており、当時の職場の実態を無視した事例である。

また右によれば徳武の週休日が三月二七日となり、三月一四日以降一三日目の週休付与となるが、予備線表勤務者についてもこのような長期の間隔をおいた週休の付与は原則として行っていなかったものである。

また倉橋に対して、三月二七、八日ついで三一日、四月一日に各五番勤務の指定をしているので、健康上問題のあった同人を、二日間に三・五日分に相当するきつい五番勤務を、しかも二日間の間隔をおいただけで重ねて勤務指定をすることになるが、これは同人の健康状態を無視したものである。

さらに熊野の二四日非番、二五、六日の三番勤務を六番勤務に変更し、三月三一日の五番勤務の一日目を非番日に変更しているが、この場合、三月三一日までの当初の勤務時間の合計は七一五一分であるが、右のように変更すると同人の勤務時間の合計が六七〇六分となり、いわゆる官損が四四五分増えることになる。このように一般の年休の付与のために官損を出すというようなことまでして服務差繰をすることは実態としてなかったものである。(当該月は、急拠四月一日から勤務指定が切り替わったため、官損がでたという特別な事例であり、通常は官損がこのように出ないのが実態である。つまり、本勤務指定も通常の四週間であればこの時のように大幅な官損という実態は発生しなかったのである。)。

6  変更可能例6について

右6は基本線表勤務者の島地の既に付与が決定されていた年休、非番週、週休の変更を前提としており、さらに健康上の配慮が必要な倉橋に六番勤務を行わせるものであって、当時の職場の実態及び倉橋の健康状態を無視した事例である。

7  変更可能例7について

右7も前記6と同じく当時の職場の実態及び倉橋の健康状態を無視した事例である。

8  変更可能例8について

右8は基本線表勤務者の勝谷の既に付与が決定されている年休の変更(または取消)を前提としており、さらに健康上の配慮が必要な倉橋に六番勤務を行わせるものであって、当時の職場の実態及び倉橋の健康状態を無視した事例である。

9  変更可能例9について

右9は基本線表勤務者の小椋の既に付与が決定されている年休の変更(または取消)を前提としており、さらに健康上の配慮が必要な倉橋に六番勤務を行わせるものであって、当時の職場の実態及び倉橋の健康状態を無視した事例である。

(証拠関係の付加)<省略>

理由

一  被控訴人の身分及び本件懲戒処分の存在、本件懲戒処分に至る経緯に関する当裁判所の認定判断は左に付加訂正するほかは原判決理由(原判決六九丁裏四行目から同七七丁表八行目まで)と同一であるから、ここにこれを引用する。

1  原判決七〇丁表一〇行目から同丁裏一行目までを次のとおり改める。

「る乙第五号証、原審証人大石三夫、同瀬古昇、同米本秋弘、原審及び当審証人横井暢三(但し以上については後記措信しがたい部分を除く)、原審証人水野馨の各証言、原審及び当審における被控訴人本人尋問の結」

2  原判決七三丁表一一行目を「原審証人大石三夫、同米本秋弘、原審及び当審証人横井暢三の各証言中」と訂正する。

3  原判決七六丁表五行目から同七七丁表八行目までを次のとおり改める。

「3 以上の認定事実によれば、すなわち、右認定の事実関係の脈絡からすると、被控訴人の大石課長の右他時季振替(以下「時季変更権の行使」ともいう。)に対して『それなら要らない。』との発言の趣旨はその言葉どおり『右他時季振替』がなされるのなら、振替にかかる三月二七日、二八日、二九日の年休なら、それはいらないという趣旨としか解されないのであり、他の趣旨、特に、当初の三日間の本件時季指定にかかる年休を不要としたり、その請求を撤回したりする趣旨とはとうてい解されない。

したがって仮に本件における大石課長の右の他時季振替が適法なものである場合に、被控訴人の右の『それなら要らない。』との発言によって右他時季振替がなされた二七日、二八日、二九日の年休の請求が撤回されたものと解される余地はあるが、この点は本件の争点に関係がないので、これ以上立ち入らない。

よって、控訴人の本件時季指定撤回の抗弁は全く理由がない。」

二  そこで以下本件時季変更権行使の適否について判断する。

1  一般に、年次有給休暇の権利(以下「年休権」という。)は労基法(当時施行のもの。以下同じ。)三九条一、二項の要件の充足により法律上当然に生じるものであるから、労働者がその有する年休の日数の範囲内で始期と終期を特定して休暇の時季指定をしたときは、使用者が適法な時季変更権を行使しない限り、右の指定によって年休が成立して当該労働日における就労義務が消滅するのであって、そこに使用者の年休の承認等を考える余地はない。この意味において、労働者の年休の時季指定に対応する使用者の義務の内容は、労働者がその権利としての休暇を享受することを妨げてはならないという不作為を基本とするものにほかならないのであるが、年休権は労基法が労働者に特に認めた権利であり、その実効を確保するために附加金及び刑事罰の制度が設けられていること(同法一一四条、一一九条一号)等に鑑みると、同法の趣旨は、使用者に対し、できるだけ労働者が指定した時季に休暇を取れるよう状況に応じた配慮をすることを要請しているものというべきである。

それ故、本件においては後記認定のように名古屋鉄郵局における被控訴人の勤務内容は四週間を一つの期間として予め当該期間の一週間前に指定されることになっていたものであり、被控訴人の本件年休時季指定権の行使は、右の昭和五〇年三月一三日から同年四月九日までの間の勤務割によって定められていた勤務予定日についてなされたものであるが、しかしながらこのような場合であっても、なお使用者は労働者が休暇を取ることができるよう状況に応じた配慮をなすべきことが要請されていることに異なるところがないとみるべきである。

そして、労基法三九条三項但書にいう「事業の正常な運営を妨げる事由」の存否は、一般的には、当該労働者(年休請求者)の所属する事業場を基準として、事業の規模、内容、当該労働者の担当する仕事の内容、性質、繁閑、代替勤務者の配置の難易、時季を同じくして年休を請求した者の人数等諸般の事情を考慮して客観的、合理的に判断されるべきものである。

本件においては、予め勤務割による勤務体制がとられていた事業場における時季変更権が問題になっているのであるから、代替勤務者の配置の難易は前記事由を判断するにあたって特に重要な要素になることは明らかであり、したがって本件において使用者が通常の配慮を払ったかどうか、そしてこれを払っていれば、勤務割を変更して代替勤務者を配置すること(本件にいう服務差繰)が客観的に可能な状況にあったかどうかが慎重に吟味されるべきである。

そこで以下右の見地に立ってさらに本件時季変更権の適否について検討を進める。

2  名古屋鉄郵局第二乗務課における業務運営の実態、本件年休の時季指定にかかる当日の要員の状況と服務差繰の状況、人員配置の状況、未処理郵便物についての当裁判所の認定判断は左に付加訂正するほかは、原判決の理由(原判決七八丁裏二行目から一〇七丁裏一行目まで。但し、原判決九〇丁表二行目から同丁表六行目まで、及び同九三丁表一行目から同丁表一〇行目まで、をいずれも削除する。)と同一であるからここにこれを引用する。

(一)  原判決七八丁裏五行目の「相互間を」とあるのを「相互間において」と改め、同八行目の「郵便局」とあるのを「鉄郵局」と改める。

(二)  原判決八二丁裏二行目の「車内乗務」とあるのを「車内業務」と改める。

(三)  原判決八三丁裏一行目の「<1>」を削除する。

(四)  原判決九六丁裏六行目を「なお、弁論の全趣旨によって成立を認める乙第三四号証、原審証人大石三夫、同米本秋弘、原審及び当審証人横井暢三の各証言」と改める。

(五)  原判決九七丁表五、六行目の「同横井暢三、同米本」とあるのを「原審及び当審証人横井暢三、原審証人米本」と改める。

3  次に、本件時季変更権行使の効力について考えるに、名古屋鉄郵局における「事業の正常な運営を妨げる場合」の一般的判断、三日間の本件年休請求に対し、そのうち一日または二日のみの年休を認めることの可能性について検討をしなかったことについての当裁判所の認定判断は原判決理由(原判決一〇七丁裏三行目から一一四丁表四行目まで)と同一であるからここにこれを引用する。但し、原判決一一一丁表九行目及び一〇行目を削除する。

4  進んで三月二四日に関する後補充、すなわち服務差し繰りの方法について検討する。

前記(引用の原判決)のように昭和五〇年三月二三日現在翌二四日の人員の配置状況は予備線表勤務者八名(病休者の加藤を除く。)のうち六名はそれぞれ勤務についており、年休取得者は二名であり、また基本線表勤務者二一名のうち年休取得者が三名、週休者が三名、非番者が三名であったのであるから、事業の正常な運営に必要な一八名を辛うじて確保していた状況であったと認められるのであるから、被控訴人に対して後補充等を考慮せずにそのままの状態で右二四日に年休を付与すれば、直ちに事業の正常な運営が妨げられる状況にあったことは明らかである。

しかしながら右のような状況にあっても通常の配慮をもって服務差繰をすることにより、被控訴人に年休を付与できたにもかかわらず、これを怠った場合は控訴人の時季変更権の行使は違法になるというべきである。

そこで以下三月二三日になされた大石課長や横井代理、米本代理、金井主事らによる服務差繰の適否ないし当否について検討する。

(一)  先ず年休取得者を服務差繰の後補充の対象から除外した第一審被告の措置が適法、かつ妥当なものであったことについての当裁判所の判断は次のとおり付加するほか、すなわち、「すでに取得された年休が後に請求された年休のために変更されるべきであるとするときは、かえって年休の取得につき不安定な状態を招くことになり、これが労基法等の精神にもとるものであることは見易い理である。」と付加するほか、原判決の理由(原判決一一四丁表七行目の「まず、」から一一五丁表一〇行目まで)と同一であるからここにこれを引用する。この点についての被控訴人の主張は理由がない。

したがって、また、被控訴人の主張する変更可能例も、そのうち他の職員の三月二四日の年休の変更を前提とするものはその余の点について判断するまでもなく理由がなく採用できない。

(二)  次に既に週休を取得している職員に対して他の職員に年休を付与するために勤務を命ずること若しくは同様の勤務を要請することの要否について検討する。

一般に、労基法上、週休と年休との優劣関係を明示する規定は見当らないけれども、同法上、週休についてはいわば無条件でこれが与えられるべきものとされる(同法三五条)のに対し、年休については一年間の継続勤務及び全労働日の八割以上の出勤が、いわばその付与の前提とされている(同法三九条)こと、前者については労働者の請求をまたないでも与えられるべきものとされるのに対し、後者についてはその請求を要すること、前者については問題とならない業務支障が後者については(本件でも問題となっているように)これがある場合にはこれがなくなるのを待って年休を与えれば足りるとされていること等に鑑みると、同法は、少くとも、年休が週休に優先するものでないことを暗黙に示しているとみることができる。

また、被控訴人が所属する第二乗務課乗務係においても、基本線表勤務者についてはもとより予備線表勤務者についても、後記のとおり本件のような一般の年休を付与するために他の週休者の週休日を変更することを通例としていなかったことが認められるのである。

すなわちまず<証拠>によれば当時の基本線表勤務者である加藤が昭和五〇年一月一九日当初勤務指定が週休日であったが、三番勤務に変更され、当初指定の六番勤務の二日目の同月二一日に週休日が変更されていることが認められる。しかしこれは右証拠によると同人に一月二二日に組合休暇を付与するためにとられた措置であったことも認められるのである。右の組合休暇は労働組合員が組合活動をするための当局の便宜供与であるが、右休暇の間は労働者は賃金を貰えないものであることが弁論の全趣旨によって明らかであるから、本件のような年休とはその性質を異にするものである。

次に<証拠>によれば、当時の基本線表勤務者である勝谷が当初勤務指定が昭和五〇年二月一四日が週休日であったところ当日を五番勤務に勤務指定が変更され、当初勤務指定の六番勤務の初日である同月一五日に週休日が変更されていることが認められるが、右勤務指定の変更は右証拠によっても他の職員に年休を付与するためのものであったとは確認できないのである。

次に<証拠>によると本件当時予備線表勤務者の週休日が変更されていることが認められる。しかし<証拠>によると右の勤務指定の変更は他の職員に年休を付与したことによるものではなく、前記のように基本線表勤務者のみでは一日一名ないし三名不足するので、その補充を予備線表勤務者で補うための別表勤務の指定であるか、又はいわゆる突っ込み(前節の最後の勤務指定として二日以上にわたる勤務指定されていた者が次の節に予備線表勤務者になり、かつ、その最初の日が週休日にあたる場合に前節の勤務指定日が週休日に突っ込んでくることをいう。したがってこの場合は必然的に週休の勤務指定の変更を伴うことになる。)であるか、若しくは労使関係に対する配慮からの組合休暇の付与によるものであることが認められるのであり、これらからすると前記のようなことが通例とされていなかったことが認められるのである。

そして前記の労基法の趣旨及び右認定事実からすると、すでに週休を取得している者に対して他の者に年休を付与するために勤務を命じたり若しくは同様の勤務を要請したりする必要はないというべきである。

念のためにいえば、<証拠>によれば、郵政省の指導文書である「郵便業務管理」(甲第一八号証)に「やむを得ない事情で予定しない日に諸休暇を付与せざるを得ない場合」の服務差繰の後補充について一般的には週休日の振替により欠務の後補充をする旨の条項が定められていること、また本件当時に施行されていた郵政省就業規則六〇条(乙第四一号証)や郵政省勤務時間規程一九条(乙第五二号証)にも週休日の振替についての条項のあることが認められるが、これは、欠務の発生その他業務上必要のある場合に所属長が週休日の振替を行う権限を有する旨を規定しているものであって、このことはむしろ当然のことで、何ら異とするに足りず、それ故、右各条項の存在は前記の必要性の判断に影響を与えるものではない。

したがって既に週休を取得していた職員を服務差繰の後補充の対象から除外した三月二三日になされた第一審被告の措置に違法な点はなく、この点に関する被控訴人の主張は採用しがたい。

したがって被控訴人の主張する変更可能例もこのうち他の職員の週休の変更を前提とするものはその余の点について判断するまでもなく理由がなく採用できない。

(三)  次に三月二三日になされた第一審被告の措置のうち、三月二四日が非番日であった職員を、結局服務差繰の後補充の対象としなかった点について検討する。

本件弁論の全趣旨によると、本件非番日とは、労働時間の調整の関係から勤務時間の割振が行われないいわゆる休業日にすぎず、労基法にいう休日ではないと解されるのであるから、これを週休日と同一に論ずることはできず、各事業場の実状に応じて非番日を変更すべきかどうかの配慮の要否が決められるべきであると解されるところ、前出乙第四三号証の一によると、当時の基本線表勤務者であった熊野の当初の勤務指定たる昭和五〇年一月二九、三〇日の三番勤務が年休日に変更され、この関連で、当時の基本線表勤務者の早崎の同月二九日の非番日が同月三一日に変更されるとともに同人が同月二九、三〇日の三番勤務者に指定されている実例も認められ、また、同年三月二三日に大石課長が本件服務差繰につきすでに年休をとっている者又はすでに週休をとっている者は服務差繰の後補充の対象者から除外するように横井代理外二名に指示したにすぎないこと、そして現に同月二三日に横井代理外二名はこの指示に基づき同月二四日が非番日になっている者について服務差繰を検討しようとしたり、この検討を話題にしたりしていることは前(引用の原判決)認定のとおりである。

尤も弁論の全趣旨によると、本件非番日の変更は時間外労働の問題を引きおこす可能性がないとはいえないことが解るけれども、同時に当時三六協定の締結されていたことが認められるのであり、また本件第二乗務課乗務係における勤務形態が四週間を通じ一七六時間、一週間平均四四時間とするいわゆる変型労働時間制をとっていることは当事者間に争いがないのであるから、これらのことと弁論の全趣旨とによれば、実際上、本件非番日の変更が右問題を引き起こすことは殆どなく、右問題が起ったとしてもまさに時間外労働の問題としてこれを処理することが可能であったことと認められるのである。

以上のことを総合して考えるとき、第一審被告は三月二三日に本件年休の服務差繰を検討するに当って、三月二四日が非番日とされている者を右服務差繰の後補充の対象者に含めて検討するよう配慮すべきであったというべきである。

ただ、<証拠>によると、前記乗務係の予備線表勤務者については、これらが本来短期欠務の補充を主たる職務としているところから、非番日を予め指定することはなく、従って、本件年休の服務差繰の際に配慮すべき検討対象者として問題となるような非番者が本来存在しないことが認められるのであるから、結局同乗務係の基本線表勤務者の三月二四日の非番者が検討対象者として問題となるわけである。

ところで、三月二四日の非番者が熊野、渡辺、小林の三名であったこと、二三日の日は熊野が六番勤務の三日目、渡辺、小林がいずれも五番勤務の二日目であり、同日午前中はいずれも乗務勤務中のためこれらに対する右の検討のための事情聴取が困難であってことは前認定のとおりである。

進んで、前認定のとおりの状況の下で、同日午前中に右三名の者に対しわざわざ名古屋から待機の頃をみはからい待機中の駅事務室に連絡してまで右事情聴取をすべきであるとすることは多少とも右三名の勤務の妨げになるし常識的でもないと解されるから、同日午前中に右三名の者に右事情聴取をしなかったことをもって前記配慮を尽さなかったとみることはできない。

そして、渡辺、小林の同日なしていた五番勤務が二日間で約三・五日分に相当する勤務時間のある同乗務係における最もきつい勤務であり、健康上からも安全衛生上からもその翌日は必ず非番日とする勤務割が組まれていたことは前出乙第八号証の一、原審及び当審における横井暢三の証言から明らかであり、五番勤務者の名古屋駅へ帰着するのが一八時四五分であることは当事者間に争がなく、年休開始日の前日の午後五、六時頃までに時季変更権を行使するかどうかをきめればよいとされていたとは前認定のとおりであるから、これらの点から考えて渡辺、小林については本件服務差繰の後補充の対象としてその検討を配慮すべきではあったが、右のような事情の下で、これらの者につき同二三日に右検討のための事情聴取を行わなかったことについては相当の理由があり、この点について前記配慮を尽さなかったとみることはできない。

次に熊野については、同人は二三日一三時〇八分に名古屋駅に帰着予定であり、横井代理らが服務差繰が困難であるとの結論を出した時期は同日一一時ころであったことは前認定のとおりであり、このことからすると、あと二時間位待てば、名古屋に帰着した熊野に対して直接事情聴取をすることができたと考えられるのに、前認定のように最初は同人にあたってみようとの話もでていながらこれを中止してしまったこと、しかも被控訴人に対して時季変更権を行使した時刻が熊野が名古屋駅に帰着した後の同日一三時二六分ころであったこと、本件当時名古屋鉄郵局の第二乗務課乗務係乗務員は六番勤務の次の日に必ずしも常に非番日をとっていないことも前記認定(原判決引用)のとおりである。

そうすると、二三日の午後には第一審被告において熊野に対し右検討のための事情聴取が必要であったし、かつ十分可能であったというべきである。

この点に関して控訴人は「被控訴人が時季指定をした年休の間に一泊旅行をするかもしれないことを慮って、はやめに被控訴人に本件年休の付与ができない旨を告知した。」と主張するが、仮に右のような配慮をしたとしても、右のようなことは右検討のために必要な事情聴取を十分にした後に配慮すべき事柄であるについては多言を要しないから右の主張は理由がなく採用できない。

また<証拠>を総合すると、本件服務差繰の検討のなされた三月二三日の午前の時点においては同月二五日以降の予備線表勤務者の勤務指定はほとんどが日勤指定のままで具体的に定められていなかったこと、このことを考慮に入れて前記のように同日の午後帰着した熊野に対し事情聴取をした上同人の二四日の非番日を変更したならば同日の午後には少くとも例えば本判決の別紙勤務指定変更可能例5のように被控訴人に対しその年休の請求どおり三月二四日から同月二六日までの年休を付与することが十分可能であったと認められるのである。

この点について控訴人は右の例ではいわゆる官損が出ることになり、年休の付与のため官損を出してまで服務差繰をする実態にはなかった旨を主張する。しかし同時に控訴人は当該第一四節(すなわち昭和五〇年三月一三日から同年四月九日まで)は同年四月一日から勤務指定が切り替わったため、官損が出たことも自認しており、<証拠>によると、当該節の三月末日現在の各乗務員についての官損は、例えば、勝谷が八八五分、小川が六〇六分、西村(重治)が四八二分、前野が四七五分、花見が二九八分、伊東(鷹治)が二九八分、遠藤が五六四分、松谷が二九八分、杉本が二二分、徳武が四五〇分、伊藤(文男)が六四四分、進藤が四〇二分、臼井が一六七分、西村(典之)が二九六分であること、そして熊野についていえば、同人の当初指定による右官損は一五分であったが、右の勤務指定変更可能例5による右官損は一一四分になること(熊野の当初指定は二四日が非番日、二五、六日が三番勤務、二七日週休日、二八日から三〇日まで六番勤務、三一日が五番勤務の初日であったところ、これを二四日から二六日までを六番勤務、二七日週休日、二八日非番日、二九、三〇日五番勤務、三一日非番日と変更する結果、三番勤務の八三二分と五番勤務の初日の八四五分との小計に対する五番勤務の一五七八分の差プラス当初指定の一五分の合計一一四分)(以上は当事者間に争いない事実及び前掲各証拠から明らかである。)が認められるところ、この程度の官損は前記の他の職員についての官損に比べて不均衡なものということはできず、むしろ服務差繰上は許容すべき程度のものと認めるのが相当である。控訴人の右の官損についての主張は理由がない。

次に控訴人は右変更可能例5によると徳武に対して三月一四日から二七日まで一三日間も週休日を与えられなくなるが、このような長期の間隔をおいた週休日付与は原則として行っていなかったから右可能例が事実上困難であると主張する。しかしながら前掲乙第八号証の二によれば、徳武にはその間祝日の休日が一回あり、さらにその間休業日たる非番日が四回も割当てられることになることが認められるし、また前掲乙第四一号証ないし第四四号証の各一、二によれば、過去に例えば、酒井は昭和四九年一二月一〇日から同月二二日まで一二日間、徳武は同月一一日から二三日まで一二日間、島地は昭和五〇年一月九日から同月二二日まで一三日間、渡辺は同月九日から二一日まで一二日間、松谷は同年二月四日から一九日まで一五日間の間、週休日の割当を受けていなかった例のあることが認められ、徳武の右可能例の場合がこれらと均衡を失するものでないことは明らかであり、このことに照らすと、控訴人の右主張は採用しがたい。

さらに控訴人は右変更可能例5は倉橋に対して三月二七、八日及び三月三一日、四月一日に五番勤務の指定をしているが、健康上問題があった同人を二日間で約三・五日分に相当する勤務をしかも二日間の間隔をおいただけでさせることは同人の健康状態を無視するものであると主張するが、その間に合計二日間の非番日と週休日のあることは同可能例から明らかであり、しかも原審証人倉橋照夫の証言、弁論の全趣旨によると、倉橋は当時五番勤務も普通にできたと認められるのであって、このことに照らし、控訴人の右主張は採用しがたい。

以上の認定説示のとおり、大石課長及び横井代理らは熊野に対する事情聴取が必要であり、かつそれは一挙手一投足の労をもって容易にできたのにこれをしないまま本件服務差繰の後補充が困難であるとして本件時季変更権を行使したものであり、しかも、若し右の事情聴取をした上、熊野の二四日の非番日を変更して服務差繰をしていたならば被控訴人に対しその請求どおりの年休を付与することが可能であったのであるから、第一審被告は本件時季変更権の行使につき被控訴人が指定した時季に年休がとれるよう適切な配慮をしたものといえず、結局第一審被告のなした本件時季変更権の行使は違法であるといわざるをえない。

(四)  次に副課長ら管理職等につき服務差繰の後補充のための検討をすることを要しないことについての当裁判所の認定判断は原判決理由(原判決一一七丁裏三行目の「前記認定」から同一一八丁表四行目まで)と同一であるからここにこれを引用する。

三  以上の次第で、本件時季変更権の行使は結局違法であるから、これが適法であることを前提とする本件懲戒処分もまた違法であり取消しを免れないものである。

従って、その余の点について判断するまでもなく被控訴人の本訴請求は理由があり、正当として認容すべきところ、これと同旨の原判決は結局相当であって本件控訴は理由がない。

よって、これを棄却することにし、民事訴訟法八九条、九五条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老塚和衛 裁判官 高橋爽一郎 裁判官 野田武明)

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